決勝トーナメント進出

日付は6月29日の午前1時半過ぎ。

 

日本対ポーランドの試合は0-1でポーランドが勝ち、同時進行で行われていたコロンビア対セネガルが1-0でコロンビア勝利で終わったため、セネガルと日本の勝ち点・得失点が並ぶ形に。その結果フェアプレーポイントと呼ばれるカードの数によって、日本が決勝トーナメントに進むこととなりました。

 

結果だけ見るとルールにのっとって決勝トーナメントの切符を手にしたのだから、選手や監督は称えられるべきだし、それだけのがんばりをグループリーグ3戦で見せてくれたと思います。

しかし議論を呼んでいるのが、後半終了近くになった時の両チームのプレー。

同時進行していた試合でコロンビアが1点入れたことにより、そのとき0-1で負けていた日本は引き分けに持っていく選択をせず、コロンビアがそのまま勝利することを信じて0-1のまま試合を終える、という選択をしました。

つまりはDFラインでボールを回して時間を稼ぐということです。

対するポーランドも勝ちという結果をすでに手にしかけている以上、リスクを冒して点を取りに行く選択をせず、ボールを取りに行かない。その結果、最後の時間は両チームが試合を放棄しているという異様な光景が生まれました。

もちろん両チームのサポーターはブーイングの嵐(ボール回しをする日本だけでなく、ボールを取りに行こうとしないポーランドにもです)。

ベンチからの指示であろうとは思いますが、試合を終えた選手も「これが勝負の世界」と言いつつも、その顔は満足していないのが印象的でした。

 

この試合、見ている人によって意見が大きく分かれるものだと思います。

「こんなクソ試合見させられてまで決勝トーナメント行くなんて恥ずかしい」

「こんなことするなら点取りにいって結果0-2だったとしてもそっちのがよかった」

という人もいれば、

「大会のルールを活用して勝ち上がったんだから文句は言えない」

「勝ち上がるための戦略だ」

という人もいるでしょう。

見ている人がなにを目的に日本代表を応援しているか、そういったことで変わってくるのではないかと思います。

 

私個人の意見を言うと、どちらかというと後者の方に近いです。

もちろん内容の良い試合をしてほしかったのは事実ですし、他試合の結果に運命を委ねてほしくはなかったという気持ちももちろんあります。

しかし現地でがんばっているチームが勝ち上がる確率の高い選択をし、結果的にそれが報われたという点は、先の感情的な部分とは別にして称えられるべきだと思うのです。

チームとしての目的が決勝トーナメント進出である以上、そのための最善手を打つのは当然ですし、ワールドカップという大舞台の本番である以上内容が悪くても結果が出ればそれが正しいのだと思います。そこが練習試合との大きな差です。

 

自国のチームである以上、そう考えて次の試合をがんばってもらうしかないなと自分は考えていましたが、驚いたことにツイッターなどのコメントを見ていると思った以上に先ほど挙げた意見の前者の方が多いわけです。後者の意見を述べている人ももちろんいますが、それ以上に感情的な部分で結果自体を否定してしまう人がいるように感じました。どっちが正しいかというものではありませんが、それだけ波乱を呼ぶ内容だったのだと思います。

 

 

この様子をリアルタイムで追いながら、私は以前岡田武史監督が言っていた言葉を鮮明に思い出していました。それは日本人が監督になる上での問題点について岡田監督が述べているところで、以下のようなことです。

「どうしても日本人はファンクショナル(機能的)なこととエモーショナル(感情的)なことをごっちゃにしちゃって、機能だけではなかなか見ない。そしてこれが外国との大きな差である」と。

これは例えば、「○○が監督だから代表はもう応援しない」といった人がいるのが日本人である一方、「監督の批判はするけどチームが勝ったらみんなで喜ぶ」というのが外国人であるということです。

これはまさに文化の差であり、機能的に見るべきところにも感情的なものが多分に入り込んでくるのがある意味日本の文化の一つなのかもしれません。

 

今回の試合を受けての意見は、このファンクショナルな部分ととエモーショナルな部分をどう考えるのかの違いが出てるのかなと思います。

ファンクショナルに考えれば決勝トーナメント進出という結果を手にするための選択をしたのであり、結果的にそれを達成できたのだから恥ずべきことはない、となりますが、エモーショナルな部分が入ってくると、こんな醜いプレーで勝ち上がっても意味がない、といった方向になるのではないでしょうか。

 

何に重きを置くかの違いなので、どちらの方が正しいというものはないですが、だからこそファンクショナルとエモーショナルを分けて考えることが必要なのではないかと思うのです。

エモーショナルな部分はそれはそれで置いといて、結果自体はファンクショナルな視点で見るということも物事を見る上では必要です。岡田監督が言うように、日本人はその二つをごっちゃにしてしまう傾向があるんじゃないのかなーと、そんなことを思った夜でした。