旅先でどこに泊まるか

 

9、10月と、週一くらいで東京に行く機会があった。

 

たまの遠出なら、「まあホテルに泊まるか」とか、「誰かのとこに泊めてもらうか」っていうのが思いつくかもしれない。

しかし、週一となるとなかなかそうもいかず、懐事情を考えてもなるべく安く済ませたい気持ちが出てくる。

 

では、安く、できれば快適に泊まるにはどうするか。

東京のような都会で安く泊まるとなると、選択肢としてはけっこうあったりする。

例えば、ネカフェやカラオケボックスで夜を明かすというのもあるし、もう少し寝やすさを考えるならカプセルホテルといった選択もありだ。後者でもだいたい5000円出せばおつりがくるくらいの所が多い。

 

しかし僕はここでそうではない選択肢を推していきたい。

 

それはスーパー銭湯、サウナである。

 

「え?銭湯って泊まれないだろ」って思う人もいるかもしれないが、実はスーパー銭湯やサウナと呼ばれるような施設は仮眠ルームみたいなところがあり、夜はそこで寝ることができる。もちろん個室というわけではないので、ちょっとしたマットみたいなのが並んでいるところに雑魚寝するような形だ。

そのため隣で寝ている人の猛獣のようないびきにさらされるということもあるが、その辺は耳栓などを使えばなんとかなったりする。

 

お値段は、普通の利用料金に深夜料金がプラスされるような感じで、だいた4000円くらいのところが多い。古めのサウナとかだともっと安かったりする。

こういった施設のいいところは、なんといってもでかい風呂やサウナを好きなだけ使えるということ。

普段シャワーだけだし風呂ってそんなに…というような人にとってはあまり魅力的ではないかもしれないが、僕なんかは温泉や銭湯大好き人間なので、銭湯に入ることができ、かつそこで泊まることができるというのはまさに一石二鳥といったところなのである。

 

使ったことがない人にとっては、きたないんじゃないの?とか、勝手がわからない、という不安があると思うが、少しでも興味があればぜひ行ってみてほしい。

特に新宿のテルマー湯などはとても清潔感がありきれいで、女性でも利用しやすい。

 

ホテルなどと違い予約せずとも行くことができるので、急な泊まりといったときには、利用してみるのも一つの手なのではないだろうか。

 

 

『生きるように働く』

 

今日は最近読んだ本の話を。

 

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『生きるように働く』

 

この本は「日本仕事百貨」という求人サイトをつくった、ナカムラケンタさんが書かれた本です。

日本仕事百貨というサイトは普通の求人サイトとは違い、その仕事をしている人たちの想いや、仕事の中での息づかいのようなものがわかる文章で綴られています。

shigoto100.com

 

 

こんな素敵な文章が並ぶサイトをつくった人なのだから、当然、本の中身もすごく風通しの良い、素敵な文章が書かれています。

内容は主に、ナカムラさんがこれまでどういう人生をたどってきたのか。そして様々な「生きるように働く」人の生き方や働き方が、すっと自分の中に沁みこんでくるような言葉で描かれています。

 

そうはいっても「生きるように働く」、なんか理想のような気がするけど、現実はそうもいかないよなあと思うのが正直なところ。それ自体は、本を読んだ後のいまも変わってはいません。

ですが、この本にはいろんな生き方、働き方をしている人のことが、気持ちのいい文章でいっぱい詰まっていて、そういうこともできるんだな、素敵だな…という気持ちさせられます。それも、その気持ちを押し付けられる、という感じではなく、自分の中から湧き上がってくるような、不思議な感覚。

 

本の中では、いろんな人、生き方、働き方に出会うことが、「自分の中の種に水をやる」ことだと表現されています。

僕の中では、まさにこの本を通して自分の中の種に水やりをしてもらった、そういうことなのかな、と、最後まで読んでふと思いました。

この水やりの感覚はなんだかくせになってしまうようで…。今までになかったくらい、いろんな人に会ってみたいとか、こういう働き方をしてみたいっていう感覚が、強くなっている自分がいます。

 

まだまだ自分の身の振りを探っている途中ですが、このタイミングでこの本に出会えて本当に良かった、そう思える一冊です。

 

 

生きるように働く

生きるように働く

 

 

植物うんちくおじさん

 

最近、というかここ数か月、植物や自然について書いた短い記事を書く、というバイトみたいなことをやっています。

ある剪定屋さんが自分の所のウェブサイトに載せるためのもので、作業日記と並行してアップされているものです。

 

内容についてはほぼ自由にさせてもらっていて、自然や植物に関することであればだいたいオッケーという感じ。

そこで、だいたい500字とか600字くらいの記事を、月に10本くらい書いたりしています。

 

出来るだけその季節ごとの植物や行事について、少し掘り下げたものを書いているので、専門的な内容ではありません。ですが、個人のブログみたいな感じにはならないように、その点だけ気をつけて書いています。

 

少し掘り下げる、、となると、だいたいが植物のうんちくみたいな話になるため、最近は植物うんちくおじさんだなこれは、、と自分で思うほど、聞いても「へえ、、」としか返ってこないような情報を集めている次第です。

ネコジャラシはターボエンジンみたいな光合成システムを持っている、とか、萩と牡丹からおはぎとぼたもちの話をしたり、とか。

それ知ってたところで…と言われそうだけど、知ってたら何となく話のネタくらいにはなるかもしれない、というのを目指して、日々ネタを集め、写真を撮り、ぽつぽつと書いているところです。

 

いつまで仕事をいただけるかはわかりませんが、やらせてもらう限りは、少しでも読めるものを書いていきたいなと思いながら、植物うんちくを漁る今日なのでした。

 

長く短い祭り

四年に一度のお祭り、世界中のサッカーファンが注目するワールドカップロシア大会が、つい先日決勝戦を迎え全日程終了しました。

 

僕は大会前から優勝候補としてフランスを挙げていたのですが、奇しくも的中。クロアチアとの決勝戦に勝ち、優勝トロフィーを手にしました。

 

フランスの新星ムベッパに注目が集まり、クロアチアの主将モドリッチはMVPと、ポジティブな意味で両チームの選手にスポットライトが当たったと思います。

特に主将としてチームを引っ張ったモドリッチに心打たれた人も少なくないのではないでしょうか。

 

レベルの高いサッカーを日々見れる楽しみはひとまず終わってしまいましたが、また四年後、ワールドカップというお祭りを楽しむことができるようがんばっていかなければと思った、そんな夜なのでした。

 

ちなみにタイトルの「長く短い祭り」は、最近またハマっている東京事変の「長く短い祭」からもってきました。夏に向かういい曲です。

 

早朝に見た夢とベスト8の壁

 

2018年7月3日、サッカー日本代表のロシアワールドカップでの戦いは、ベスト16という形で幕を引きました。

 

日本時間の3時キックオフという、応援する側にとってはつらい時間でしたが、多くの人が早起きをし、テレビをつけ、歓喜し、また悲鳴を上げ、落胆した…。そういう試合だったのではないかと思います。

 

試合内容については、ニュースを見ればわかることなので書くことはしませんが、「これはひょっとしたらひょっとするぞ…!」と、世界屈指の強豪であるベルギー相手にワクワクさせてもらえた試合であったのは間違いないと思います。

実際、日本が決めたゴールは、大会ベストゴールにノミネートされてもいいレベルのものでしたし、勝ちに行くという気持ちが表れていた非常に面白い試合でした。

 

しかし、現実は厳しい、一炊の夢といったところでしょうか。応援していた人全員が描いたベスト8という夢は、儚くも消え去ってしまいました。

試合後のインタビューで西野監督が語っていたように、ここから先の景色を見るためには、まだ足りないものがあり、越えなければいけない壁があるということ。でもそれは、前回、前々回の大会のときよりは確実に超えることができるところまで来ていると感じさせられる大会だったと思います。

 

選手層や試合中の采配などいろんな要素が考えられますが、ここから日本が夢を現実にしていくためには、この4年間をどう振り返り、この次の4年をどういったビジョンをもって進んでいくかにかかっています。

それをしっかり考えるためにも、この一戦を「よくがんばった!」「感動した!」ということで終わらせてしまうのではなく、足りなかったものを冷静に分析し、それを補うためにどういうことをしていくべきなのかということを、しっかりと突き詰めていくことが必要です。これは日本サッカー界だけでなく、応援する私たちにも必要なファンクショナルな視点だと思います。

 

エモーションを多分に揺さぶられた試合だっただけに忘れてしまいがちですが、ファンクション的な部分を意識して、今後の日本サッカーがどういった景色を見せてくれるのか、また4年後が楽しみになった今回のワールドカップでした。

 

 

とか言って、冷静なふりして書いていますが、

 

めちゃくちゃくやしい!!!

勝ってほしかった!!!

試合後のインタビューとか泣いちゃうわこんなん!!!!

 

とひとりもがく早朝なのでした、、、。

 

ファンクションとエモーション

先日、サッカー日本代表が決勝トーナメントに進出したことについて書きました。

その時に岡田武史元監督の言葉を引いて、日本人はファンクショナルなことととエモーショナルなことをごっちゃにしてしまう、ということに、ポーランド戦に対する賛否両論を重ねてみましたが、今回はファンクションとエモーションについてもう少し書き足してみようと思います。

 

元々は、岡田武史さんがある番組で語っていた言葉ですが、改めて書き出すと以下のようなものになります。

どうしても日本人はファンクショナル(機能的)なこととエモーショナル(感情的)なことをごっちゃにしちゃう。「こいつが代表監督だから代表を応援しない」とかね。

これが例えばアルゼンチンとかだったら、誰が監督になってもめっちゃ批判するけど、勝った時は全員が喜ぶよ。 

でも日本代表は、たとえば俺が監督やってたら勝っても喜んでない人がいるわけよ。

日本人はファンクションとエモーションが被っちゃって、感情が入って機能だけでは見ない。

 改めて見てみても、先日のポーランド戦の戦い方についての意見に示唆するものがあるんじゃないかなと思います。

「みっともない!」という意見も、「決勝トーナメントに進んだからいいじゃないか!」という意見も、ある意味では感情的なものです。

機能的に考えるならば、「試合の状況を考えて、ピッチにいるメンバーで一点を狙いにいくよりも、試合を0-1のまま終わらせる方が決勝トーナメント進出の可能性が高かった」というように西野監督の決断を捉えるでしょう。

逆に、「試合を0-1のまま終わらせるよりも、失点のリスクを負って引き分けを狙いに行った方が勝算が高かった」という意見も機能的な面から考えていると思います。

 

サッカー、しかもワールドカップという大舞台である以上、見る人がどういった目的をもって日本代表を応援しているのかが千差万別であるため、感情的な意見が多く出てきてしまうのは仕方のないことだとは思います。

しかし岡田さんが言っているように、この一件だけで「もう日本代表を応援しない!」とか、「次でボコボコにされたらいい(海外の方でそう言っている人もいるようですが…)」と言ってしまうのは非常に残念だと思うのです。

賛否両論が出るのは当然で、海外メディアの批判も多く出ている問題ではありますが、せめて日本人は批判覚悟でこの決断をした自国のチームを最後まで応援すべきだと思うのです。

 

岡田さんの言うファンクションとエモーションをごっちゃにせずに考えてみるということは、そのヒントになるものだと思います。ひいては、日本のサッカーが進化していく上で必要な、見る側の進化にもつながるのではないでしょうか。

決勝トーナメント進出

日付は6月29日の午前1時半過ぎ。

 

日本対ポーランドの試合は0-1でポーランドが勝ち、同時進行で行われていたコロンビア対セネガルが1-0でコロンビア勝利で終わったため、セネガルと日本の勝ち点・得失点が並ぶ形に。その結果フェアプレーポイントと呼ばれるカードの数によって、日本が決勝トーナメントに進むこととなりました。

 

結果だけ見るとルールにのっとって決勝トーナメントの切符を手にしたのだから、選手や監督は称えられるべきだし、それだけのがんばりをグループリーグ3戦で見せてくれたと思います。

しかし議論を呼んでいるのが、後半終了近くになった時の両チームのプレー。

同時進行していた試合でコロンビアが1点入れたことにより、そのとき0-1で負けていた日本は引き分けに持っていく選択をせず、コロンビアがそのまま勝利することを信じて0-1のまま試合を終える、という選択をしました。

つまりはDFラインでボールを回して時間を稼ぐということです。

対するポーランドも勝ちという結果をすでに手にしかけている以上、リスクを冒して点を取りに行く選択をせず、ボールを取りに行かない。その結果、最後の時間は両チームが試合を放棄しているという異様な光景が生まれました。

もちろん両チームのサポーターはブーイングの嵐(ボール回しをする日本だけでなく、ボールを取りに行こうとしないポーランドにもです)。

ベンチからの指示であろうとは思いますが、試合を終えた選手も「これが勝負の世界」と言いつつも、その顔は満足していないのが印象的でした。

 

この試合、見ている人によって意見が大きく分かれるものだと思います。

「こんなクソ試合見させられてまで決勝トーナメント行くなんて恥ずかしい」

「こんなことするなら点取りにいって結果0-2だったとしてもそっちのがよかった」

という人もいれば、

「大会のルールを活用して勝ち上がったんだから文句は言えない」

「勝ち上がるための戦略だ」

という人もいるでしょう。

見ている人がなにを目的に日本代表を応援しているか、そういったことで変わってくるのではないかと思います。

 

私個人の意見を言うと、どちらかというと後者の方に近いです。

もちろん内容の良い試合をしてほしかったのは事実ですし、他試合の結果に運命を委ねてほしくはなかったという気持ちももちろんあります。

しかし現地でがんばっているチームが勝ち上がる確率の高い選択をし、結果的にそれが報われたという点は、先の感情的な部分とは別にして称えられるべきだと思うのです。

チームとしての目的が決勝トーナメント進出である以上、そのための最善手を打つのは当然ですし、ワールドカップという大舞台の本番である以上内容が悪くても結果が出ればそれが正しいのだと思います。そこが練習試合との大きな差です。

 

自国のチームである以上、そう考えて次の試合をがんばってもらうしかないなと自分は考えていましたが、驚いたことにツイッターなどのコメントを見ていると思った以上に先ほど挙げた意見の前者の方が多いわけです。後者の意見を述べている人ももちろんいますが、それ以上に感情的な部分で結果自体を否定してしまう人がいるように感じました。どっちが正しいかというものではありませんが、それだけ波乱を呼ぶ内容だったのだと思います。

 

 

この様子をリアルタイムで追いながら、私は以前岡田武史監督が言っていた言葉を鮮明に思い出していました。それは日本人が監督になる上での問題点について岡田監督が述べているところで、以下のようなことです。

「どうしても日本人はファンクショナル(機能的)なこととエモーショナル(感情的)なことをごっちゃにしちゃって、機能だけではなかなか見ない。そしてこれが外国との大きな差である」と。

これは例えば、「○○が監督だから代表はもう応援しない」といった人がいるのが日本人である一方、「監督の批判はするけどチームが勝ったらみんなで喜ぶ」というのが外国人であるということです。

これはまさに文化の差であり、機能的に見るべきところにも感情的なものが多分に入り込んでくるのがある意味日本の文化の一つなのかもしれません。

 

今回の試合を受けての意見は、このファンクショナルな部分ととエモーショナルな部分をどう考えるのかの違いが出てるのかなと思います。

ファンクショナルに考えれば決勝トーナメント進出という結果を手にするための選択をしたのであり、結果的にそれを達成できたのだから恥ずべきことはない、となりますが、エモーショナルな部分が入ってくると、こんな醜いプレーで勝ち上がっても意味がない、といった方向になるのではないでしょうか。

 

何に重きを置くかの違いなので、どちらの方が正しいというものはないですが、だからこそファンクショナルとエモーショナルを分けて考えることが必要なのではないかと思うのです。

エモーショナルな部分はそれはそれで置いといて、結果自体はファンクショナルな視点で見るということも物事を見る上では必要です。岡田監督が言うように、日本人はその二つをごっちゃにしてしまう傾向があるんじゃないのかなーと、そんなことを思った夜でした。